♯7 進撃の巨人と構造主義 ※ネタバレ注意
本筋とは関係なしにメモ書き
そのために、レヴィ・ストロースから始まった構造主義を理解する。デリダの脱構築主義は、構造主義から発展したものであると考えられるため。
目標②:構造主義を理解する。
【構造主義】のイメージ:骨格みたいなもん
構造主義は、ある大きな法則に基づいて、ありとあらゆるものが機能している、と捉える考え方。
だから構造主義では、人間の歴史に限って言うと、「人間は過去から未来へかけて発達していく」のではなく、「元々ある法則に従ってしか、行動していない」、という捉え方をする。
この捉え方は、極端な見方をすれば、人間には無限の可能性なんかない、ってことになりそう。人間の行動、思考には、限界があって、その限界の中でしか何かをすることはできない、というのが構造主義の基本的な考え方。
青年期に、正義とは何か、悪とは何か、という事を考える機会があった。その頃になって、悪の中にも正義の人間と共通するものがあって、勧善懲悪がなかなか難しい時代になっていた。例えば東京グールなんかは、その典型で、人間側にも正義があって、悪があって、グール側にも悪があって正義があった。そういう描かれ方をしていた。
結局、正義や悪は人から見た視点によって変化する、という無難な考え方に落ち着く。自分はそれがどうにも気に入らなかった。政治家がするみたいに、答えをはぐらかされているような気がしたから。このままではいけないと思う。だからこそ、私はこのままではいけないと思う。
進撃の巨人も、そういう描かれ方をしている。最初に壁の中の世界が描かれて、次には壁の外の世界がある。壁の中の人間と全く同じように生きている壁の外の世界の人間を見て、エレンは絶望した。ライナーは逆に、壁の中の人間が自分たちと同じように生きているのを見て、自分の行いに途方も無い罪悪感を抱いた。
構造主義が見ようとしているのは、正義とは何か、悪とは何か、という問いではない。正義と悪に共通しているものは何か、そしてその何かが、人間を突き動かしている法則そのものなのだ、ということなんだと思った。
エレンもライナーも対極に居る立場なのに、同じような行動を取る。二人とも世界を救うために行動するし、今から殺そうとしている相手に心から気持ちを寄せた。エレンから見れば、ライナーは悪で、ライナーから見ればエレンが悪だった。この共通項こそ、「構造」そのものなんだろう。
エレンは、世界中の人間をぶっ殺しまくって、「これが自由だ」って言っているけれど、どうなんだろう。構造主義から見れば、エレンの自由は結局、一つの制約の中での行動でしかないように感じられる。
自由とは、なんだ。
それでアンチニヒリズムだの、フェミニズムだの、ヴォルデモートだのに繋がっていくけれど、その話はまたいつかする。
#6 【教えるということ】家庭内での子どもの教育にも使える!
私は今までの人生で本を何冊も読んできてますが、読んでると言っても要点しか掴んでいないだけで、読み終わったのはこの本を合わせて2冊だけです。
最後まで読み切った本を一冊として数えると、私が読んだのは二冊なのですから、10年に一冊しか読んでないとなるわけなのです。昔から親には「これを読みなさい」など何回も本を渡されていました。しかし、この2冊しか読めなかったのです。
いくら興味ある内容でも読み終われない。なぜなのか。
それは、「読みなさい」、「何しなさい」など強制的な言葉により、娯楽ではなく勉強だと認識してしまったからだと思います。
一冊目は、黒田官兵衛の本で、私の強烈な憧れー戦国時代の人物の生涯についてーの内容なので、1ヶ月はかかりましたが、読み終えることができました。これは、読みなさいと別に言われてないのです。
二冊目は、大村はま先生の教えるということという本です。教育についての本は興味はあり、今までに何冊も買ってますが、この一冊だけしか読み終えれませんでした。魅力的な内容だとは思いますが、周りの環境だと思います。どういうことか。詳しく言うと、これは本が大好きな兄弟の影響だと思います。(昔は私のように中学までは全く読んでいませんでした)。誰かが本を読んでいるのを見ている姿を見ると、自然と読んでしまうのです。これは心理学の研究結果でもわかっており、子供の教育にも良いことがわかっています。
よく「家でも勉強しなさい」、「宿題やってきなさい」と言われたことがあると思いますが、この一言が子ども達の勉強に対する姿勢が薄れ、学校=学びの場ではなく、牢獄だと思ってしまうのではないでしょうか。
きっかけ作りが子どもの心の何かを動かすと思います。
#5 うちはイタチという男がいる。
カラスが何匹も欅に止まって、やかましく鳴いている。その樹の根元のベンチで本を読んでいる私は、そのあまりのやかましさに集中することができない。一体何匹鳴いている?それから私は気づく。カラスは匹、ではない。羽、と数えるのだ。そして見上げても、欅の細かい葉に紛れて、カラスの姿はよく見えない。何羽か数える事は、最初から不可能だった。
集中出来ないので私は、『モンテ・クリスト伯』第三巻・岩波文庫137ページ目にしおりを挟んで、そこから立ち去る事にする。本を閉じると、背表紙には860円+税と書かれてある。岩波文庫は、買うにしては割と高い、と私は感じている。買うに値するだけの価値のある作品ばかりが選ばれている、とも思っている。
私の座っているベンチの空いているところへ、一人老人がやってきた。雨垂れ石をうがつといった、長い年月を経た岩のような皺を持つ男だった。私は、彼と他人なので、特別目配せもせず立ち去ろうとしたのだが、彼はタイミングを計ったかのように、こう言う。
「許せサスケ、これで最後だ」
私は、驚いて老人を見る。私は、今しがたこの老人に頭を覗かれたような気分になった。私がカラスを見て、本当に心に囚われたのは、カラスの数え方でも岩波文庫の価値でもない。間違いなくその台詞だったからだ。思い起こしたのは、カラスを操る男だったからだ。その男が、その言葉を言った。死に際に言った。老人は、あたかも典型的に、ふぉっふぉっふぉ、と笑った。
うちはイタチという男がいる。
彼は、里を戦争の惨禍に巻き込まない為に、戦争を引き起こそうとしている自分の一族を全て見殺しにした男だ。彼は、自分の扱う術にしばしばカラスを用いる。幻を見せる効果の時間を自在に操ることのできる『月読』(ツクヨミ)は、カラスが現われる事でしばしば効力を発揮する事がある。
鳥は得てして頭の良い生きものである。知の象徴として度々フクロウが引用されるが、カラスだって負けてはいない事だろう。一説には、近所のカラスに「おはよう」と声を掛け続けた事で、ある時を境にカラスから骨や虫の死骸といった「差し入れ」を貰うようになった人間もいる、という話もある。
うちはイタチは、一族を背負って立つような存在だったから、そんな彼がカラスを傍らに携えているというのはしっくりくる。
一つ勘違いしてはならないことがある。
一族を皆殺しにしたイタチだが、彼は愛情深い男である。
そんな事より何より、私は老人に頭の中を覗かれた事が心外だった。なぜ?という言葉が頭に浮かんでいた。老人は言う。
「年を取れば、人の頭の中を覗く事も出来るもんだ」
私は、老人が消えるのを見た。風が吹き上げて、欅が大きく揺れた。カラスが一斉に飛び立った。かあ、と鳴いて私の前を横切ったカラスが、その小さな眼球で私を見ているのを私は見た。
【氷の微笑】#4 美女の微笑みに騙されてはいけない!
CDプレーヤーから音楽が流れている。夜の雰囲気を壊さないようにボリュームを落としながら。
情熱的に裸の男女が抱き合っている。あっちが離れたと思えば、こちらがくっつき、二頭の蛇のように境目をなくしている。糸が引くような粘っこさで二人の体が離れる。男の上に女がまたがる。男の上で、女は激しくなめらかに腰を振る。そのまま女は倒れ込み、男の首筋に吸い付く。男と接地面を増やすために腕全体で男の体をなぞる。その間も、腰は波打っている。ドラッグもキめて、頂点に達するのは時間の問題。
男を煽るように体をなぞりながら、女は男の腕を彼の頭の向こうへやる。ベッドのヘッドレールに手を近づけ、真っ白いスカーフを取り出す。そのまま、ヘッドレールと男の手を縛る。一つのSMプレイのようであり、男は興奮した。両者は絶頂に向かってますます高まっていく。
女の腰の動きが速くなる。男の突き上げる腰の動きも速くなる。感覚だけに両者の存在が集約される。空気の粒が泡立つ。高まっていく。絶頂に達したまさにその瞬間、
女はアイスピックで何度も何度も男を刺す!
翌日、発見されたのは性行為中にアイスピックで滅多刺しにされた男の死体でした。
傾国の美女。ファムファタール。昔から、世界の国々には美しい女性を例えた言葉があります。傾国の美女とは、その女の美しさを国が傾くほどである、という様子を例えたもの。ファムファタールとはフランス語で魔性の女、という意味があります。往々にして男を虜にし、滅茶苦茶にしてしまうほどの美しさを持つと言われます。
『氷の微笑』でも、そんな女性が登場します。
この女性が、とにかくエロい。まあエロい。私は映画を最初に観たのですが、ファムファタールであるキャサリン・トラメル役のシャロン・ストーンに目を奪われました。当時小学四年生だった私は、つるかめ算なんかやってる暇ねぇ、と宿題を放り投げました。
男性にある普遍的な願いとして、「絶世の美女に抱かれる」というものがある。死ぬ代わりに、人も羨む美しさを持った女性とセックスができる。
究極的な命題ではありますが、自分だったら絶世の美女に抱かれることを選ぶかもしれません・・・・・・。たとえ、アイスピックで滅多刺しにされたとしても。
小説、映画共にありますが、やっぱり映像の方がインパクトはあります。シャロンストーンの身体の曲線は、小説では観ることができません・・・・・・。
【三体】#3 地球の文明を遥かに超える文明に勝利するには?
ある日突然、「地球のもの何使っても良いから、人類を滅亡の危機から救ってくれ」と言われたら、どうしますか?
しかもここに条件がつく。敵から目的を悟られないようにするため、あなたの真意は完全に隠されなければならない。よって、あなたが行う行動、発言は全て人類を救うものであると見なし、我々はそれに付き従う。
例えば、「この駄菓子屋が好きだから、このお店のもの、土地の権利、店の管理権まで全部買い占めたい」と言えば、買えるんです。「これは人類を救う計画の一部だ」と付け足せば完璧。ただ駄菓子屋が好きで買い占めたいだけでも、人類はそれに従う。そういう状態。
ある意味夢のような状態とも感じられます。「これは人類を救う計画の一部だ」と言えば、ほとんどなんでも叶えられる状態なのですから。
『三体』第二巻「黒暗森林」では、そういう存在になった青年が主人公。人類を救うかわりに、なんでも願いを叶えることができるようになります。
実際、この契約は割に合うんですかね。人類を救うという仕事。報酬は、なんでも願いが叶うこと。
けれどもこの仕事、一つだけ大きなリスクがある。それは、その契約をした人物の取る行動や発言は全て、「人類を救う計画の一部である」と見なされてしまうこと。「私、人類救うのやめたいです」と言っても、敵を欺くための一手なのだな、と先方には思われてしまうわけです。人類を救う任務に就いたら最後、その存在は仕事を降りることができなくなる。それが唯一のリスクでした。
主人公ルオジーには、やる気がなく、計画から降りたいと先方に懇願しますが、時既に遅し。その訴えも敵を欺こうと行動している、と受け取られ逃げられなくなってしまう。
ルオジーは自分が人類を救う存在になった理由が分からないので、やる気が出ません。けれども、彼には地球のものを自由に扱う権利が与えられている。そこでルオジー、考え、反抗します。自分の想像上のユートピアを地球上から探し出し用意しろ、と難題を突きつけるのです。また、自分が以前妄想した想像上の理想的な女性を地球上から探し出し呼び寄せろ、とも命令するのです。こう付け加えて。「これは人類を救う計画の一部なのだ」。
この『三体』という話、大筋をざっくり説明すると、人類を滅ぼそうとする宇宙人との戦い、です。ただ、この宇宙人の攻め方はいわゆる宇宙映画のような単純なものではない。
宇宙人が最初にしたのは、地球を焼き払うことではありません。地球から技術発展の術を奪うことでした。そして、満を持して艦隊を出発させ、地球に到達しようとする。それに抵抗する人類の話。
真っ暗闇の中、度の合っていない眼鏡で曇りガラスの向こうを覗いている説明をすると大体こんな感じ。ほとんど説明はできてないです。
エヴァンゲリオンが好きな人は絶対はまると思う。
智子、三体問題、面壁者、破壁人、恒星型爆発。猜疑連鎖、技術爆発。
全部、ここに出てくる言葉です。
【歴代】NBA スパーズの選手達!
スポーツ(体を動かすこと)は、私生活に必要不可欠って知ってましたか?
スポーツなしでは、生き生きとした生活は送れないのです!
その話は、また別の時間でご紹介します。
ところで、今日はスパーズについてお話しさせていただきたいと思います!
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