【薬指の標本】#1 私だったら何を標本するか?
本日は、作家小川洋子さんの「薬指の標本」という本について紹介します!!!
今回は自己啓発本ではないですが、小説に興味ある方はぜひおすすめします!
真面目に書いてますが、内容は面白おかしくアレンジしています😊
【標本】
①動植物・鉱物その他の物を、ありのままの姿で保存するために、それらの個体もしくはその一部に適当な処理を施したもの。
自分の身の回りのもので、好きなものを標本できるとしたら、何を選ぶか。
ありのままの姿で保存できるのであれば、人生の絶頂の思い出を選ぶかもしれない。
初めて実った恋とか、成功した思い出とか、石油掘り当てたとか。
人生の絶頂が延々と続いていれば、人は不幸にならなくて済むだろうし、毎日毎日頭を悩ませる必要もなくなる。
けれども、人生の絶頂が日常であれば、人はまた別のところから不幸を引っ張り出してくるのだろうと思う。
人生がずっと楽しいものだったならば、と想像する。
身が持たないかもしれない。
楽しくないものをわざわざこしらえようとするのかもしれない。
結局、物事はどこかでバランスが取れるように出来ているのかもしれない。
私は、ずっとユートピアを探しているのですが、なかなか見つからない。
ユートピアに至っても、その理想郷を壊す作業、あるいは気づかない鈍感さの方が上手だから、そりゃ見つからないはずだよなあ。
生きているだけで、人は色々な事を経験する。その経験が記憶となり、思い出となり、あるいは行動の原動力となるらしい。
くさい。
あまりそれっぽいことは書きたくないですw
その標本室では、そういう思い出とか、トラウマとか、あるいは「傷」と言葉にすることさえ出来ない傷を「封じ込める」ことができる。
自分の薬指とか、目を背けたくなる身体の特徴だとか。
私だったら、私をうんざりさせる臆病さを標本したい、と思う。
隙あらば耳も目も塞いで、世界の端っこに縮こまるだけの臆病さを標本する。
そして、自分から永遠に切り離す。
そうすればもっと、自由に、そして強く生きることができるのではないか、などと思う。
ドストエフスキーは、『カラマーゾフの兄弟』で、自由を得た代わりに人はより苦しむようになった、と言ったとか言ってないとか。
自由とは。分かる訳ない、考えたくもない。
まとめ
作家小川洋子さんの『薬指の標本』は全くそういう話ではないです。足フェチの老人が二十歳の少女に見せるロリコン変態の話です。
実際、読んでみればわかりますが、そういう話でもない気がしました(笑)